行徳という町

行徳(ぎょうとく)は東京メトロ東西線の「行徳駅」付近を示す地名です。
行徳とは徳を行うという仏教的用語がついていることから
わかるようにきわめて仏教に関係のある町です。

成田山新勝寺にお参りする成田山街道の起点でも
ありました。 そのため、いまでも多くの寺院が立ち並ぶ寺町です。

行徳という地名はこの地で住民から慕われたお坊さん
「行徳さん」からきているとも言われています。
行徳には観音さまの札所巡りもあります。

詳細は行徳三十三観音のページをご参照ください。

また行徳は塩の産地として広く知られていました。
江戸時代の料理本には行徳という名が
塩の意味で使われています。
塩は重要な産物の一つでした。

その塩の生産を支配するために徳川幕府(江戸幕府)は
行徳を天領(幕府直轄地)として治めました。
天領であった名残として徳川家康が鷹狩の際に通った道が
権現道(ごんげんみち)という名前で残っています。
※家康は死後、東照権現という名前で神格化された。

天領、寺町、塩の名産地として行徳は大いに栄えました。

その行徳の塩産業は明治時代以降も行われていましたが、
大正時代に行徳を襲った津波で塩田(えんでん)が
壊滅的被害を受けたため、以後衰退しました。

現在は都心に隣接しているという立地から住宅地となり、
海の近くであるという雰囲気はほとんどなくなりました。
沿海の町である名残はわずかに海苔の産業が残るのみです。
行徳の海苔は江戸前といわれる最後の海苔だそうです。

戦後、東京湾の浅瀬の多くは埋め立てられ、
工場地・住宅化が進みました。
行徳の海沿いには宮内庁所轄の新浜があるため
自然の浅瀬を残しており、
自然を育む場所となっています。






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